鎌倉期の漂流物

かかずひとさ

2018年02月10日 09:12

島津本『吾妻鏡』には、鎌倉期の漂流船に載っていた不思議な札の話がありました。越後寺泊(現在の新潟県)乗組員の帯に付いていた銅製の札には漢字のようなものが書かれていますが、当時の識者、当然漢字をバリバリあやつる京都の人達にも読めない。
乗組員はかろうじて4人生き残っていたとありますが、“こりょ(高麗)の人”となったようです。




しかし、1976年に突如としてソ連(現ロシア)が解き明かしてしまいます。なんで?
ソ連のシャイギン遺跡から、この文字とソックリのものが出ました。






調査研究が進み、コレが女真文字であることがわかりました。宋を南に追いやった金という女真人の国の船だったということがわかったのでした。
これから分かるのは、日宋貿易は盛んであったが、金との交流がほとんどなかったということがわかりますね。このあと、金も南宋も高麗もモンゴル帝国(のちの元)に飲み込まれていきます。
そしていよいよ倭国にも…そして、英祖王の頃の琉球にも…。
この続きはまたどこかで。



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